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The Great Reset OF Japan section7

 基本的な制度の改革

 

(1)年金の改革

 年金の改革と言うと新たな年金を創出するというような印象を受けられるかもしれないが、年金については問題点がはっきりしていて、医療制度と同様に少子高齢化の進行によって年金受給者は増加するが、それを支える現役世代と言われる方々、つまり働いて国民年金、厚生年金等を治めている方々が減少し年金制度を支えきれなくなるということにある。従って、如何にして若い世代の働き手を創出していくかがカギになる。つまり年金の内容を論じるというよりは、需要と供給をどのように調整し制度の維持を図っていくかに尽きるわけで、改革というよりは制度の見直しといったほうがいいのかもしれない。若い働き手を増やしていくということになるのだが、医療制度の改革でも述べてきた外国人の働き手を増やし年金制度に組み込んでいくというのが手っ取り早い政策であろう。

 

    前述したように、令和2年10月時点で日本には172万人の外国人就労者がいる。これらの人々を増やしていく。治安のために厳格な試験を行って、人物をチェックし入国を許可していく。172万人の10倍でもいいから日本で働いてもらい、年金制度に加入してもらうのだ。場合によっては10倍ではなくもっと沢山の方々の加入が必要になるかもしれない。そのような外国人就労者の皆さんが自国に戻って年金受給の年齢になれば、日本の年金制度から自らが治めた年金額に対して相応の金額の年金が支給される。外国人就労者を雇用した場合にその会社や団体は所得から年金を治めてもらう。これらを義務とする法律も必要であったら作っていかねばならないかもしれない。このような運営を図っていくべきなのだ。そうでないと年金制度はいずれ破綻をきたし大変なことになる。

(2)首相公選制について

 日本は議院内閣制をとっている。明確に議院内閣制を定めたのは戦後公布の日本国憲法である。議院内閣制はイギリスをモデルにしており、世界では議院内閣制と大統領制と2通りに大別される。議院内閣制とは衆議院議員と参議院議員の本会議での投票により総理大臣を選出する。これを首班指名という。衆議院と参議院で多数を有する政党の党首が選出されることが普通である。

 

 衆議院議員と参議員議員は国民の普通選挙によって選出される。従って多数を有する政党は国民の選挙によって決定される。であるから国民の投票で選ばれた衆議院議員、参議院議員の投票により選出された総理大臣は間接的には国民に選ばれた国のトップであると言っていい。しかし、直接国民の投票によって国のトップを選んだ方がいいという意見は昔からあった。その方が感覚的に総理大臣との距離が近くなるし、基盤のしっかりした国のトップが政治の采配を握ることが出来る。政権が安定するということであり重要なことである。

 

 前述した通りに、その方が国民と総理大臣との距離が近くなるし、自分たちの選んだ政権にある程度の責任を持たねばならなくなるだろう。それだけに今よりは基盤のしっかりした政治ができると考える。1年おきに国のトップが変わるような異常な状態は決して国益に資していない。国際的にも国のトップが次々に変わっていく事は日本のためにならない。国際的な舞台で日本の政策や考え方を主張して理解を得たいと思っても、なかなか容易ではない。そういうことで、私は議院内閣制よりは首相公選制で国のトップを選出した方が国益につながると思うのだ。

 

 さて、日本国憲法では衆議院と参議院で投票により総理大臣を選出することを定めている。ここを変えていくには憲法改正が必要であるが容易ではない。従って、総理大臣を選出する選挙を可能にするために公職選挙法を改正・施行し、その選挙を実施する。それで選ばれた方を衆議院と参議院で対立候補とともに投票するのだ。ただ、この場合、国民が選んだ方と衆議院、参議院で選んだ方が一致しない可能性が生じる。この部分が問題だがねじれ現象は政治の世界ではよくあることで、民意がそうだとすれば致し方のないことかもしれない。

 以上を述べて、私は総理大臣を国民の投票で選ぶ首相公選制を実施していくべきと考える。

(3)メディアのあるべき姿

 近頃のメディアについて述べると、崇高な報道目的を感じさせるような報道というものを見ることが少なくなったと思う。政治的な報道を見れば、最初から政府のやることは反対だ、与党のやることは反対だ、というような姿勢で臨んでいるものが多い。また、些細なことを取り上げて、揚げ足を取るような報道も多くある。

 

 また政治だけではなくて全般的な報道で見てみると悪者を仕立てて総攻撃で非難を繰り返すようなものも多い。悪者役の皆さんもいろいろとまずい部分があるからそうなるのであろうが、メディアの攻撃があまりにすさまじいので可哀そうになり、いじめではないかと思うこともある。どこぞの誰かがあそこで悪いことをした、なんてことはそれなりに報じればいいのだ。そのようなことを大方の報道番組やワイドショーなどで競い合って報道する意味があるのか。最も、悪いことの内容にもよるのだが。

 

 それらのことはさておき、今のメディアについては、これからの日本がどうあるべきか、世界の中でどのようなポジションを担いどのような行動を取っていけばいいのか、などということを念頭において、オピニオンリーダー的な役割を果たしていけないものだろうか。これからの日本、これからの世界を論じて、我々がどうあるべきなのか、どうしていくべきなのかということを正面から誠実に主張していけるようなメディアが出てきてほしい。最近は、とみにそんなことを思うようになった。

 

 ただ、今の報道を見ていて危惧の念を抱くことがある。報道の自由のもとで行き過ぎた報道が存在していることだ。特に、ネット上のSNSと言われる情報、youtubeをはじめとした動画等が氾濫し、社会的に許してはならないようなものが出てきている。法律に反するようなものは司直が取り締まればいいのだが、報道の自由という錦の御旗のもとで、特に大手のメディアが国家の利益に反する内容の報道を行うことや、国民の生命や財産を脅

かしかねない報道を行った場合のチェック態勢のあり方は、今後の日本において大変に大事なことだと考えている。

 

 現在は国際的に難しい時期にある。隣の中国は覇権主義的な動きを見せているし、北朝鮮は何をやってくるのか皆目見当がつかない。韓国においてはアメリカを中心に同盟国といえども、それらしい対応を取ってくれない。そのような微妙な国際情勢の中で、国益に反する報道や国民の生命や財産を侵すような報道により、国民に損害を与え、間違った考えを植え付け、まとまりに欠ける国民性を醸成していってしまうのではないのか。そのようなことを考えると極めて心配になるのだ。

 

 報道の自由は、これは憲法によって保証されているのであるが、何をやってもいいわけではないだろう。国家の利益に反することや国民の生命や財産を脅かしかねない報道については、どこかでチェックをしていくべきではないのか。政治的な組織や行政的な組織の絡まない、完全に中立の立場で議論のできるチェック機構でも作って、逸脱するようなメディアが出てこないように常に注意を払うことが必要ではないのか。不可侵ということで

、三権の中の例えば司法の中にあってもいいだろう。記憶しておかねばならぬことは、メディアが報道することが全て正しいわけではないのだ。国民が誤った報道によって、いたずらに惑わされてしまうことは避けなければならない。国民と日本という国が基本にあらねばならないのである。