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特別公務員として日本学術会議 のあるべき姿!

墓穴を掘ってしまう野党と日本学術会議!


菅よしひで政権に変わり、日本学術会議の推薦があったにもかかわらず総理に任命されなかった学者の方々についての問題が大きく報道されている。野党の国会議員の皆さんも大きな問題として取り上げているようだ。ただ、私はこの問題について事を大きくして報道されればされるほど関係者の皆さんが墓穴を掘っていくような気がしてならない。ほとんどの皆さんは、今まで日本学術会議というものの存在を知らなかったに違いない。かく言う私も、たまに新聞だったか本だったかで目にした記憶はあるのだが、それがどういうものなのか詳しく知らなかった。それが、いろんな報道がされるものだから私の大したことのない頭にも沢山の情報が入ってきてしまう。簡単に経過を見てみよう。

  まず、昭和24年に日本学術会議法が公布される。第1条により組織は内閣総理大臣の所轄で、かかる経費は国庫によるものと明記される。第2条の目的として、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする、とある。主な職務・権限としては政府からの諮問に応じて政府に勧告する政府機関ということである。しかし、昭和25年に「戦争を目的とする科学研究には絶対、従わない決意の表明」という声明を出した。当時、敗戦から5年後のことであり世相を踏まえ、科学者の戦争協力を反省するという意味があった。時は吉田茂内閣であった。

続いて昭和42年には、同じ趣旨の「軍事目的のための科学研究を行わない」という声明を発表した。佐藤栄作内閣の時である。東西冷戦が真っただ中のことだ。更には、ぐっと時を経て平成29年にそれまでの2声明を継承するとした上で、改めて「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表する。北朝鮮が核実験を繰り返す中、安倍首相が憲法改正を模索しているという時代である。特別公務員という立場で、3度にわたって政治的と言っていい声明を発表しているのだけれど、そこは適切なのかという疑問が生じる。昭和25年の声明については、科学者の戦争協力を反省するという趣旨であれば内閣総理大臣が所管する科学者の団体として意味は理解できるところである。また、昭和42年や平成29年における声明については戦後、日本を覆った一方的なイデオロギーとでも言うのだろうか、つまり9条を始めとして、かたくなに護憲を主張し、国内はもとより国際的な情勢の変化など関係なしに強く論じてきたという体質を感じる。

法律的に見てみよう。法律にはそのような声明を政府に対して勧告することは可能かもしれないが、87万人といわれる全国の科学者の皆さんに声明の趣旨を投げかけて、研究の内容を規制するということは法律の内容を超えていて違法ではないのか、と考えられる。そして、それは憲法の学問の自由についても抵触してくる。このことについては、非常に懸念されるところであり直ちに修正すべきところであろう。科学者の中には軍事的安全保障を研究したい方々もいるであろう。それと共に、地球の枠を超えて宇宙に目を向けた経済活動が必須になっていく未来を見据えて、軍事的な事と経済的な事の境界があいまいになり、どうしても軍事的な研究が避けて通れなくなる時代が迫っている。さらに、軍事的な研究については実に広範に変化していて、何も核兵器や細菌兵器、戦闘機や戦艦を作っていくことだけではない。ITであったりロボットの研究なども軍事的な研究の範疇に入ってくる。アメリカや中国は、これらの研究について覇権をかけてしのぎを削っている。軍事的な研究がそれらの発展のいしずえなのかも知れない。従って軍事的な研究が全て悪であるはずがないのだ。昭和25年の声明、つまり70年前の状況に端を発した考え方を今でも基本に置いているのは、果たして正解なのか。日本も世界も当時から見ると別世界であって、考え方も変わっていくのではないか。

それらの事を考える時に、特別公務員の学者の方々が時代錯誤のような声明を発して全体主義的規制を押し通そうとするのはいかがなものか。民間の団体であったら何の障害もないのであるから、民間の団体を作って活動していったらいいのではないか。今となっては、終戦後しばらくしてから東西冷戦時にかけて幅をきかせた一方的なイデオロギーに蝕まれた反国家主義ともいえる学術団体に国費を投入することは控えるべきではなかろうか。

 

                                  伊藤弘明