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Remember  Our  Pride  「JAPAN AS NO1」

エズラ・ヴォーゲルの「Japan  as  No1」が出版されたのは今から41年前の1979年のことであった。日本では70万部のベストセラーを記録し、その内容はそれまでの日本人のアイデンティティーをガラリと変えるものであった。太平洋戦争終了後、奇跡の復興を続け世界でもトップを走る国になった日本。日本人は溜飲を下げる。そして更に働き続ける。その結果、それからの約10年間、バブルと言われた繁栄を経験するのである。 

 

「Japan  as  NO1」はそもそもアメリカの人々のために書かれた本である。タイトルには、Lessons  for  America という副題が付く。日本に学べということだろう。日米貿易摩擦が深刻な時期で、アメリカの労働者達が日本車を壊すというパフォーマンスがTVのニュース番組で頻繁に見られるようになった頃である。「Japan as  NO1」が日本で広く読まれた時期とはそういう背景をかかえていた時代であった。

 

 日本は絶好調の経済によって拡大を続け、技術大国として世界をリードして行く。日本の製品は世界を席巻していった。しかし、1990年代に入り実態以上に膨らんだ経済が爆発する。株は下がり続けて企業の業績は悪化していく。日本の企業は先を争うように人件費の安い国々に進出をし、自社の健全な経営を維持しようとする。さらに、日本国内の雇用のコストを削減しようとして従業員数を減らし、そして所得も減らす所業に移っていった。経費節減は美徳とされ、行政も民間も予算がマイナスシーリングは当たり前という風潮に変わっていった。 


 暗黒の30年の始まりである。大体、経済というのは基本的に膨張していなければ健全に発展していかない。ちょっと無駄があるくらいがちょうどいいと私は思っている。しかしこの時代の日本経済は経費節減によって利益を確保するための縮小を繰り返し、デフレの渦中に突入していく。国民の所得が一向に上昇しない暗い時代が続くのである。国民が貧しくなっていくということは、国力が落ちていくということである。日本はあっという間に「Japan  as  NO1」から転げ落ちていった。

 

 現在、世界はアメリカと中国の覇権争いを注意を持って眺めている。経済において、名目GDPの1位はアメリカ、次いで中国である。ちなみに日本はアメリカの約4分の1で3位だ。政治においてはアメリカ、中国は事あるごとに対立を繰り返している。経済の中で特にITの分野においては、中国の追い上げは目を見張るものがある。今話題の5Gについては第5世代移動通信システムの略である。1980年代から目覚ましく発展を遂げてきた通信に関する段階を第1から第5まで区分けしている。1980年代にアナログの携帯電話が普及し(1G)、1990年代にメール、インターネットが普及(2G)、2000年代に高速通信の普及によりインターネットの世界が大幅に広がり(3G)、2010年代にスマートフォンが普及しパーソナル通信の高速大容量化(4G)、そしてそれらを凌駕する次の段階、高速大容量、高信頼・低遅延通信、多数同時接続を特徴とする5Gとなる。                   

これら発展をしてきた過程の中で、日本の果たしてきた役割についてはどうだったのであろうか。1979年に日本において1Gを採用したサービスが世界で初めて実用化された。技術大国日本の面目躍如たるところだ。ところがである。コンピューターを活用することとなる2G以降で、日本が先陣を切って開発を行ってきたと言えるものがあるのか?それどころか、今や完全にアメリカ、中国に遅れを取ってしまい技術を使用させて貰っている状況ではないのか。


技術大国日本はどこに行ってしまったのだろう。コンピューターにはOSというものがあって、日本のメーカーにより独自のものもあるが、アメリカのWindowsやLinuxをはじめとしたOSに市場を独占されてしまい日本独自のOSによるコンピューターなどは他国ではどうにも使えない。この世界で日本はどうにもならないのである。パソコンの出始めの1980年代の戦略ミスであろう。当時、コンピューターの世界にグローバルな情勢を把握して先見を持った人材が日本にはいなかったのであろうか。IBMやAppleやMicrosoftが抱える人材を遥かにしのぐような研究者達が日本にいて、彼らが世界をリードするOSを搭載したコンピューターを広く世界に販売していたら、GAFAに負けない巨大IT企業がいくつも日本に生まれていたのではないか。そして今だに技術大国として世界のトップを走り国民は更に豊かな生活を謳歌していたのではないか。悔やまれてならない。

 

 ただ、過去を悔やんでばかりいても何も生まれてはこない。アメリカ、中国の後塵を拝するようになったことは認めて、今後どのように対応していくかが大切なのだ。技術大国日本が再び復活するように、Remember  Our  Pride 「JAPAN AS NO1」を国民に広く呼びかけその気運を盛り上げていき、官民ともに活動していく必要があるのである。

 

 まず、民間の企業・団体が技術を開発していくことが重要だ。企業・団体は新たな技術を開発するのに多大な先行投資が必要になる。余裕のない組織は、どんなに優秀なスタッフがいても技術の開発に必要な研究が出来ない。それらの研究に対して、国は内容をチェックした上で十分な費用を出す。これは中国も行っている。民間の技術力を引き出すための国費の投入は必ず必要なことである。また、政府系の研究機関に対しても、思い切った研究を行えるだけの予算措置は必要である。とにかく、技術開発のための予算というのは未来への投資であり、それらを惜しんでいてはそれこそ未来など望めないのだ。

 

 そして、教育である。 かつて、日本の教育レベルは世界のトップクラスであった。幼児教育から始まって、小中高から大学まですべからく熱心な教育がなされていた。教育に関する論文は沢山ありすぎて、それぞれが独自の主張を論じているが、総じて言えることはゆとり教育が導入された約30年(1980年~2010年代初頭)、子供達の学力は下がり続けたということである。特に理数学力は顕著であった。最近、どこぞの調査による世界の大学のランクが発表されているが日本の大学のランクが低いことに驚かされる。まずトップ200校には、東京大学が36位、65位に京都大学、2校のみ、あとは入っていない。中国は7校、韓国は6校もランクインしている。        

 


 ちなみに、アメリカとイギリスをはじめ西欧諸国の大学が上位を占める。これは一体何としたことなのか。教育の大切さは遥か昔、米一俵の時代から日本には浸透してきたひとつの哲学のようなものではなかったか。それが、いまや世界の中でも水準を落とし低迷を続ける。こうなった責任はどこにあるのか。文科省をはじめとして国の責任ではないのか。技術力の向上と産業力の復興、そして教育の更なる充実と優秀な人材教育のために、教育への予算投入の大幅増額と総合的教育のレベル向上に努めることが喫緊の政策だ。子供達への教育による新たな人材の育成ということは最も大切な未来への投資であり国の発展のいしずえである。改めて肝に銘ずるべきである。

 いずれにしても、日本が再び世界のトップランナーとして発展を遂げていくためには民間の力だけではなく、国策として政府が必要な箇所に十分な予算を投入し、明確な方針や指針を掲げて広く衆知を図り、国民の総意のもとに国力の向上に向けて努力を続けていくべきである。常に前進を続けていくべきなのだ。

 

かつての、世界トップランナーとしての矜持を胸に、Remember  Our  Pride 「JAPAN AS NO1」を合言葉に、共に歩んで行こう。